信州ひとり旅 VOL.1 早春の伊那市をたずねて
VOL.1 暮らしを支える【人】と【場所】〜早春の伊那市をたずねて
2005.04.22
生粋の山育ちの母が知っている、雪の下に眠っている鮮やかなふきのとうの黄緑を、町育ちの私は知らない。兄や姉、又は大人たちに教えられた秘密の場所を、1年後に再び訪れるという、息の長い楽しみ。その土地ならではの生活の伝統、あるいはしきたり。小さな村で培ってきたそうした約束事や暗黙の了解を知らないことが、私にとっては、長くコンプレックスだった。
けれども、ある土地に受け継がれるあたりまえの暮らしや人間関係の温かさを知る機会、私の限られた経験を補ってくれる機会は、本当はいくらでもあるようだ。
長野県伊那市に92歳の一人暮らしの女性を訪ねたのは、今年3月下旬のことだ。在宅ケアを推進しているクリニックの医師の方が、急に近くを訪れたという私のぶしつけな連絡に、快く紹介してくださった。用を済ませ、看護師の方に近くの駅まで迎えに来ていただき、薄暗くなってきた山道を走った。
その女性が住み続けていたのは、小さな小さな民家だった。縁側の障子を開けると、壁際に押しつけた、せいぜい二人分しか席のないこたつに、Kさんが満面に笑みを浮かべて座っていられた。予想以上に古く、聞けば築300年を超えているという。
私は福祉住環境コーディネーターである。在宅介護・在宅生活を住環境から考えている。住み慣れた場所でその方らしく暮らし続けるために、身体状況が変化してもそれを受け止め、住環境を改善することで何か変えていけるのではないか、と、手すりの取付や段差の解消など、主に小さな改善を提案するのが仕事だ。その縁側に上がるとき、「この段差は大丈夫なのだろうか?」と思ったのはいうまでもない。
しかし一方で、とにかく、彼女をそこに引き止めている理由を知りたいと思った。私は昨年20年住んだ家を亡くしたが、今だに夢に見る。何の変哲もない場所であっても、便利でなくても、途方もない愛着が生まれるのは何故か、ただ人として、知りたかったのかもしれない。
*
その家で、彼女が経験してきたことは、壮絶な歴史だった。しかし同時に、苦しみを分かち合ってきた夫とのかけがえのない歴史でもあった。5年前に逝った夫の日記や服、二人で撮った写真を、大切に日常に置き、お参りを日課にしているという。
ならば、彼女を引き止めているのは、過去への執着なのだろうか? 思い出だけに生きているのだろうか?
彼女は、その場所からほど近い、桜の名所で生まれ育っていた。亡き夫の写真に、(足が弱くなり、花びんの水が換えられなくなったので)「春になったら、偽物でもよいから、桜を飾ろうと思っているの!」と語る顔は、満ち足りているようにさえ見えた。その顔からは、決して、過去の夫との楽しい思い出にのみ執着しているとは思えなかった。
思えば、夫の写真の隣には、最近産まれた曾孫の写真があり、下には愛猫の餌量がきちんと行き届いていた。夫の日記を重ねる本棚は、毎日自ら開け閉めする障子の近くに置かれて整理され、歩行が困難になったKさんの記憶の、いつも最前列に刻み込まれているようでもある。
そうした習慣を次々と話すKさんを見て、過去を受け止めるコツコツとした作業の蓄積、過去を現在・未来への小さな希望に変換する毎日こそが、彼女を支えているのではないか、と私には思われた。
*
しかし、彼女の、過去から未来への現実的で絶妙なバランス感覚は、もちろん、彼女の力だけで培われているのではないはずである。近くに住む子どもたちや、医師・看護師・リハビリ関係者・介護職など地域で在宅介護サービスを提供する人々からは、層の厚い「気概」さえ感じられた。
けれども、Kさんにとってそれは、あたりまえの暮らしの流れとして受け止められている。毎日の日課となっている18時の息子さんからの電話に、その日は「今、お客さんだから」とぶっきらぼうに切ったKさんの自信が、気持ちよかった。遠慮せず、けれども、生活を淡々と支え続ける人々や同居の猫に対する深い愛情は出し惜しみしない。実は彼らこそ、Kさんに支えられているのだ、とさえ思わせた。
*
気づいたら、すでに小一時間が経っていた。庭の石に落ちる雨の跡にも、亡き夫との対話を楽しんでいるKさんの家は、外部も含めてほとんど住環境改善はなされていないように見え、住環境の話を聞くつもりでいた私たちは、とりとめのない話に終始した時間に、幾分リラックスしていた。
しかし、急いで帰路につこうと挨拶をし、真っ暗になった縁側に足を乗せたその時、外部にそっとセンサーライトが灯った。取り付けるときに「いらない」「いや必要」という議論がなされたのは、想像に難くなかった。が、その改善に、もてなし上手なKさんを慕う人の訪れやすさは一層増したはず。
住環境整備も含めた在宅サービスは、なるべくその方の主体性ある暮らしを遮らずに少しずつ馴染ませていきたいものだが、忙しない毎日の中では忘れがちになることも多いのではないか。私自身、限られた訪問時間につい焦って、必要以上のものを提案したりしてしまう。
足元を照らす灯りのささやかさに、Kさんを取り巻く人々の心地よい温かさを感じながら、その日、南信州を後にした。



